2020年 03月 20日
三越のこと その2―三越でのお仕事
新潟三越があと3日ほどで閉店ということで、今週は三越のお話を書いています。
三越というテーマで、いくつか書けることがあったことを思い出したので。
その1はこちら→三越のこと その1―閉店前最後のお買いもの
画像は、いつも催事会場になる最上階のもの。
次回の催し物はもうない。
さて時は昭和。
たぶん昭和60年だと思う。
わたしは学生で、学校にも慣れてきて、生まれて初めてのアルバイトをすることになりました。
どういう経緯だったか忘れましたが、新潟三越の京都展で売り子をすることになったのでした。
物産展ということで1週間程度の単発バイトです。
配属されたのは鼓月というお店。
八つ橋売り場は激混みなのに、そこはそれほどではなくて、ちょうどよい感じでした。
メインの商品である千寿せんべいは、本当においしくて、今でも見つけると必ず買ってしまう。
母も、いまだに「ゆうこが売っていたお菓子」と言って買ってきます。
販売の仕事は楽しくて、今思えばけっこう向いていたかも、と思います。
新潟三越でのアルバイトはその1回きりでしたが、30代になってもう一度、新潟店ではありませんが三越で仕事をしたことがあります。
ドイツ製のコンフォートシューズを輸入する会社で1年だけ契約社員をしていました。
日本橋三越の靴売り場にも卸していて、月に1~2回は訪問していたのです。
あるとき、靴の催事に出店することになり、10日くらい毎日店頭に立ちました。
日本橋の三越は老舗中の老舗。
富裕層が多く緊張もしましたが、目の肥えたお客様に接するのは刺激的。
もうひとつ嬉しかったことは、三越の社員の方々と同じ名札を作っていただけたことです。
そう、お客様からみたら催事で入店しているわたしと本物の店員さんとの区別がつかない、まったく同じ名札です。
これは、うれしかったですね~。
同時に気も引き締まりましたけれど。
この催事では、一日中跪いて靴のフィッティングをし続け、サイズを探して売り場とバックヤードを往復し続け、くたくたになったのですが、予想以上に売れて、社長から特別ボーナス(10万円)をいただいたのもよい思い出です。
今これを書きながら思い出しましたが、松山(愛媛県)の三越でも3日間店頭に立って靴を売ったことがありましたっけ。
いろいろな経験をさせてもらったなぁ。
こうして昔を振り返るのは、年をとった証拠かもしれないけれど、思いついた時に書いておくのも悪いことではないかも。
その3も書く予定。
ごきげんな毎日を~ciao♪
◆ホームページ→香りの教室amica(アミーカ)
by amica-aroma
| 2020-03-20 18:46
| 日記・雑記