2017年 07月 09日
若松英輔さん講演会『水俣病は終わらない』に参加しました その2
昨日、メディアシップの日報ホールでおこなわれた若松英輔さん講演会『水俣病は終わらない~水俣病患者のコトバに耳をかたむける~』に行ったことを書きました。
→若松英輔さん講演会『水俣病は終わらない』に参加しました その1
主催は新潟水俣病阿賀野患者会。
今年で結成10周年だそうです。
もう少し感想(のようなもの)を書いてみたいと思います。
(ちゃんと書ける自信はないが・・・)
昨日も書きましたが、以前参加した「サイエンスカフェにいがた」での水俣病の話が忘れられず、ずっと心にかかっていました。
2015年7月25日の投稿→「第87回サイエンスカフェにいがた」に参加しました
それまで水俣病に関して何も知らず何も考えてこなかったことに、なんというか愕然とした。
その後、若松英輔さんの著書に出会い、そこから石牟礼道子さんの『苦海浄土』に出会い、そしてたまたま見つけたチラシに導かれ、昨日の講演会に参加することになったのでした。
講演会のタイトルは『水俣病は終わらない』ですが、若松さんは『水俣病は始まっているのか?』と問いかけてきました。
わたしたちは何も知らない、水俣病は始まってすらいないのではないか、と。
終わらせないためには他人事ではなく「我が事」にすること。
「忘れない」と言っているのは他人。
それから石牟礼道子や新村苑子さんの文章を読みながら、想いを持った「コトバ」を伝えてくださいました。
「コトバ」を「言葉」に置き換えてはならない。
言葉は頭、コトバは心。
ことばたりえないものをどうにかして表現しようとしたものが詩。
強い想いをもって書いたものは書きえないことを伝える。
文章は読まれて初めて完成するのだ、と。
命を考えるお話だったと思います。
ところで、石牟礼道子さんの『苦海浄土』は、今年になってからやっと読みはじめましたが、実はぜんぜん進みません。
難しい文章でも読みにくい文章でもないのに、苦しくて先に進めない。
こんなことが、自分の生きている時代(少し前だけど)に、自分が住んでいる国で起きていることなのか、のみこむことがとても難しい。
自分は、苦しいことを避けて、耳ざわりのいい快適なものだけを読もうとしているのではないか、どうしてこの本を読むのにこんなに苦しいのか、と自分を責める日々でしたが、そのこたえは昨日若松さんがくださいました。
若松さんが『苦海浄土』と出会ったのは16歳のときだそうです。
古本屋で100円で購入し、触った瞬間に人生が変わるとわかったという。
なのに、わたしと同じように読むのが苦しくて進まなくて、読みとおしたのは東日本大震災後だと。
ことばは量ではなく質、多く読むのではなくしっかり読み、速く読まずに長く読む、そして近くに置いておき決して評価しないこと。
速く読まずに長く読んでいいのだ。
苦しみながら進んでいいのだ。
水俣病のことだけでなく、言葉というもの(そしてコトバについて)多くを教えていただいた講演会でした。
講演会との連動企画としてメディアシップ20Fで講演会と同じタイトルの写真展も開催中とのこと。
7月15日(土)まで。
昨日の講演会後は急いでスポーツクラブに行ったので、今週必ず観に行くことにします。
→小原王明 写真展
若松さんが最後におっしゃいました。
「今日なぜここにいるのか」を考えよう、と。
わたしが見るもの聞くものにはすべて意味があるのだろうと思う。
じゃ、たぶんまた明日。
今日もごきげんな1日を~ciao♪
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by amica-aroma
| 2017-07-09 21:36
| 日記・雑記